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日奈久温泉

 室町時代の1409(応永16)年に発見されたと伝えられる。江戸時代には肥後藩の藩営温泉になり、薩摩藩の島津氏も参勤交代の途上で利用した。1930(昭和5)年には漂泊の俳人、種田山頭火が宿泊して絶賛した温泉としても知られる。

2018年03月01日更新

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 600年超の歴史がある八代市の日奈久温泉。熊本地震の最大震度は5強で、被害は比較的小さかったと思われがちだが、それぞれの旅館を訪ねると、大小の損傷を受け、復旧工事がまだ終わっていない旅館が少なくなかった。「日奈久断層」の名称によるマイナスイメージもつきまとい、地震前の客足にはほど遠い。そんな厳しい現状で奮闘する湯の里の人々を追った。

 「倒壊こそなかったが、どの旅館も中はぐちゃぐちゃ。壁のしっくいやタイルが崩れ、配管が割れ…」

 日奈久温泉旅館組合の松本啓佑組合長(37)は2016年4月の地震直後の混乱を振り返る。当時17軒あった温泉旅館の大型連休の予約客はすべてキャンセルに。旅館「金波楼(きんぱろう)」の専務でもある松本さんは、亀裂が入って横ずれした赤れんがの煙突を切断する応急工事をした上で、消防団の詰め所に1週間寝泊まりし、余震のたびに見回りをした。

 同年夏からは、宿泊費を割り引く国や八代市独自の「ふっこう割」で客足が伸びた。ところが各旅館には地震の損傷が生々しく残り、旅館主は復旧準備に追われていた。一部の宿泊客によるインターネットでの心ない投稿や、日奈久断層のイメージが残る影響などで、昨春の事業終了後は客足が遠のいていった。

 松本さんは「復旧工事が昨年5月に終わったうちでさえ、昨年の宿泊客は地震前の7割ぐらい。工事が終わっていない旅館はもっと大変だろう」と気をもむ。

 金波楼の土間でおかみの美佐緒さん(70)と若おかみの愛(めぐみ)さん(35)が八代特産の晩白柚(ばんぺいゆ)の外皮を薄くピーラーでむき始めた。日奈久温泉土産、晩白柚のせっけんと入浴剤の原料となる精油を取るための作業だ。

 日奈久では地震の復旧費用に耐えられず、2軒の旅館が廃業した。精油作りはこの2軒のおかみとの共同作業だった。美佐緒さんは「せっかく知られるようになった日奈久温泉の名物を絶やさないようにしたい」と手に力を込めた。

   ■    ■

 温泉街を歩くと、地震後に旧旅館や旧店舗を解体した空き地と、足場やシートが掛かった旅館が少なくない。旅館と関連業者28業者が県のグループ補助事業で復旧を目指す「湯の里日奈久振興グループ」のうち、工事が終わったのは6業者だけ。八代商工会議所の担当者は「人手不足と資材不足でなかなか進まない」と心配する。

 そんな中、唯一、地震の年に復旧工事を終えたのが「あたらし屋旅館」だ。元板前の伊藤輝充さん(63)が旧旅館を買い受け、26歳で創業した。復旧工事の見積もりは約4千万円。グループ補助金を活用しても約1200万円の自己負担がのしかかる。「もうやめよう」と諦めかけた伊藤さんが再スタートを決意したのは、家族会議で長男純一さん(41)が発した「やらしてくれ」の一言だった。2月には純一さんに長男が誕生。「もう、とことんやり抜くしかなかぞ」。伊藤さんは熱いエールを送る。

 日奈久温泉街に残る旅館で最も古い1887(明治20)年創業の鏡屋旅館を訪ねた。頑丈なはりや柱は大丈夫だったが、厨房(ちゅうぼう)があった建物の地盤に亀裂ができた。

 地震の1年前に学校教員を退職したばかりだった経営者の嶋田欣之助さん(63)とおかみの富代さん(62)は「元通りに復旧するだけでは、未来の展望が見えない」と、原状復帰が原則のグループ補助金に加え、退職金や銀行融資で約1千万円を工面。厨房があった棟を大改修し、土間を板間にして暖炉があるおしゃれな食堂にした。厨房の隣には富代さんが腕を振るう念願の菓子工房も新設。「日奈久温泉街全体の活性化に役立つような交流の場にしたい」。富代さんは夢を膨らませた。

 組合長の松本さんは願う。「全ての復旧工事を無事終わらせ、復興宣言をしたい。大変だったけど、旅館仲間の心が一つになった、と熊本地震を振り返ることができるように」

【ワードBOX】日奈久温泉

 室町時代の1409(応永16)年に発見されたと伝えられる。江戸時代には肥後藩の藩営温泉になり、薩摩藩の島津氏も参勤交代の途上で利用した。1930(昭和5)年には漂泊の俳人、種田山頭火が宿泊して絶賛した温泉としても知られる。

=2018/03/01付 西日本新聞朝刊=

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